御本尊
行基が東岩倉山(左京区)の一切経谷に丈六の阿弥陀如来像を彫ったとされています。応仁の乱で、東岩倉山一帯は戦場となり、当寺は荒廃。伝えによると焼けた御堂から首だけになった阿弥陀如来像を信者達が見つけだし、それを粟田の地に本尊を遷し、仮堂(粟田惣堂)を建て蔣(こも)(菰)を敷き、その上に阿弥陀如来の頭部像を祀りました。慶長七年(一六〇二)に岌然(きゅうねん)上人が、青蓮院門跡の許可を得て、現在の地に堂を移し寺を再興しました。正徳三年(一七一三)には本尊が修復され、享保十五年(一七三〇)には本堂が建立され、現在に至ります。
北向き地蔵さん
「地蔵菩薩の浄土である佉羅陀山は南方にあって、ここに座すお地蔵様は、おのずと北を向くことになるから」とあります。お地蔵様は弱者を救うとする信仰から、子どもの守護者の性格が付加され、子安地蔵の信仰に結びついてゆきました。また、地蔵は道祖神信仰とも習合し、現世と他界の境界を守護する塞さいの神としての性格も帯びるようになります。明治以降には、特に京都を中心に地蔵信仰が盆行事と結びつき、子どもを主体とする地蔵盆の行事として定着しました。やがて、関西周辺の広い地域へと普及してゆくことになります。
観音堂
平成30年1月、京都府より金剛寺の本堂と観音堂が江戸期の建造物として貴重であることから「暫定登録文化財」の指定を受けました。扁額の書(南無観世音菩薩)は、日本黄檗宗を開かれた「隠元禅師」の墨書。(江戸期中期の作品) 江戸期に設えられた緑の「鰐口」(わにぐち)をつるした綱で打ち鳴らし、悠久の時と人を想いお参り下さい。
永代供養墓
後継者がおられないご夫婦、生涯お一人で過ごされた方、そんな皆様を末代までご供養させて頂きます。当寺は常に清掃も行い、お花とお線香を添えております。どなたがいつお墓参りにお越し頂いても、気持ちよくお参り頂けるように、いつでも墓地の様子を気にかけています。お墓に入られる方、お参り頂く方にとってこの地が永代に渡り静かで心休まる場所であるよう願っています。
費用:50 万円
※納骨料・管理料・使用料・戒名板料を含みます。
※別途にお願いする料金:大塔婆 1枚 3,000円
その他(希望の方はご相談下さい)